例によってケータイで撮ってっきた画像の一部を紹介します。
前回のゴール地点、松阪駅前です。駅前に見えるのは、鈴の音フェチだった本居宣長に因んで、巨大な立方体をした緑色の鈴です。
ちなみに、地元・三重では、松阪のことを『まつさか』と発音するよりも、『まっつぁか』と発音する場合が多いです。
松阪の市街地を歩いております。
映画看板を、店の看板にしている・・・居酒屋(?)があった。
松阪は、小津安二郎監督が、ほんの一時期暮らしていた・・・というだけで映画の街ということ主張しております。
市街地から外れてきた。
相変わらず、だだっ広い伊勢平野。
田舎道になってきた。
JR紀勢本線・徳和駅前踏切。
『是従外宮四里(伊勢神宮外宮まで、あと四里)』と刻まれた道標。
弘化3年(1846年)建立。
街道沿いの古い街並みが続きます。格子戸のある家が見受けられます。
堤防に突き当たった。
櫛田川に突き当たった。
橋を渡る。昔は渡し船だったそうな。
橋から川を見たら、すごく透き通っている。
この付近から南にあった川は、水が、めちゃ綺麗なのである。
『是従外宮三里(伊勢神宮外宮まで、あと3里)』の道標。弘化4年(1847年)建立。1里進んだみたいである。
国史跡の『斎宮』があった近鉄・斎宮駅付近。延々と直線道路が続いて苦痛であった。
水が本当にきれい。魚が透き通って見えるし、その魚目当てに鳥がいっぱい集まっている。
そうめん坂。
その昔、そうめん屋があったから、そう名付けられたらしい。
『是従外宮二里(伊勢神宮外宮まで、あと二里)』の道標。嘉永3年(1850年)建立。嘉永3年って、ペリーが浦賀に来る3年。
伊勢市に入った。
戦闘ヘリが飛んでいる。
この辺には、陸上自衛隊のヘリパイロットを養成する明野駐屯地があります。
赤福と並ぶ伊勢名物、でも、全国的には、いまいちマイナーな『へんば餅』の本店。赤福に勝るとも劣らず美味しいと思うのだけど・・・。
ちなみに、お店の前に生えている大木に触ると祟りがあるらしい。帰ってきてから知った。触わらんでよかった。
伊勢志摩の山並みが見えてきた。
喫茶店の前に、紀州藩高札場跡の小さな碑がたってます。
鳥羽藩本陣跡の碑と、同じく鳥羽藩高札場跡の碑。
この街道で初めて本陣跡の碑を発見しました。しかし、すぐそばに紀州藩の高札場跡があったのに、なぜ鳥羽藩の高札場があったのだ。しかも、鳥羽藩の本陣・・・というのも意味がわからん。
宮川の堤防が見えたとおもったら、ほっかほっか弁当のお店も見えた。フラフラと吸い寄せられた。
店内で、注文した海老フライ弁当(520円)ができるのを待ってます。
伊勢街道、最後の難関だった、宮川渡し跡。
かなり遅いランチ。伊勢街道は、コンビニ等が、かなり少ない。食料調達がかなり困難なのである。ようやく職にありつけた。すぐそばの草むらで、蛇がニョロニョロしているのを見て、かなりビビった。
海老フライ弁当の海老フライよりも、運動中なので、付け合わせのレモンの酸味が上手く感じた。
歩道もなく、細くて長く、自動車の通行量が多い「宮川橋」。ここは、ネット等の情報で、徒歩通行は危険だという情報は得ていたが、そんなことは現地に着くまですっかり忘れていた。
橋から川をみると、透き通るように綺麗である。
伊勢らしい建物が増えてきました。
「すぐ外宮江 十三丁半 内宮江 一里三十三丁半(伊勢神宮の外宮までは、すぐ、約1500m先。内宮までなら約7600m先)」という道標。文政5年(1822年)建立。
あと一里の碑は、どこにあったんだろうと思った。
広い道に出た。
ちなみに、このころ腹が痛くなってきて、とっても危険な状態であった。
筋違橋付近と、その欄干。この筋違橋を起点として日本橋までの距離をはかったそうな。
・・・・・・・・・などというウンチクは、どうでもいいぐらい、腹がバースト寸前の危険な状態であった。近くに発見した総合病院に見舞人を装って入り、トイレに飛び込んだ。バーストしていたら、飛んでもないぐらいの量が便器にあふれ出た。
右手に神宮の森が見えてきた。
伊勢神宮・外宮に到着!!
では、外宮さん(地元では伊勢神宮・外宮を、“げくうさん”と、お呼びします)に参拝します。
この奥にある拝殿は撮影禁止なので、ここまでです。
伊勢市駅の方へ歩いていきます。小さいころ、初詣でよく連れってもらった、お伊勢さんですが、駅前がこんなにさびれているとは・・・。
小さいころ、お伊勢さんの帰りに、食事をした駅前ジャスコが廃ビルになってました・・・。最上階のレストランからの眺めは、もう見られないのである。
ゴールのJR&近鉄・伊勢市駅です。
次回は、伊勢街道終着地、伊勢神宮・内宮を目指します。
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